【画像倉庫】いわゆる「被虐の系譜」について。
「苦痛と快楽が比例するエロティズムが実存する」なる前提に立ったサド公爵(Marquis de Sade,1740年~1814年)時代のSM観は今日ではもう通用しません。それには近世におけるデカルト座標系の登場や解剖学の視覚表現充実(着彩された精緻な解剖図が大量に出回る様になり、解剖標本や解剖模型も充実した)を背景とする機械的生物論や機械的宇宙論の副産物という側面もありました。
①その一方で芸術家が権力や富裕層のパトロネージュを受ける形でしか生存不可能だった時代の欧州において「神話や聖書に取材してそれと対応づけたエロティズム」から離れた作品を残すには、相応の「風変わりなパトロン」を必要とした。そう、日本において荒木村重の子として生まれ福井藩主松平忠直のパトロネージュを受けた岩佐又兵衛(1578年〜1650年)がいわゆる「残酷絵」を残した様に。
②例えば明日をも知れぬ毎日を送る身上ゆえに本能的欲求に忠実に生き様としたコンドッティエーレ(condottiere、イタリア傭兵隊長)をパトロンに迎え「ウルビーノのヴィーナス(伊Venere di Urbino、英Venus of Urbino、1538年)」を残したティツィアーノ(Tiziano Vecellio、1488年/1490年頃〜1576年)。
②あるいは「フランス宮廷芸術は古代ギリシャ・ローマ時代の質実剛健さに回帰すべき」と主張する新古典派から「都落ち」を強要されつつ(王宮から縁遠く、それ故に「国王の取り巻き連中」に反感を抱いていた)田舎貴族達のパトロネージュが受けながら「ぶらんこ(1767年頃)」を残したフラゴナール(Jean Honoré Fragonard、1732年〜1806年)。ちなみに有名な「ブランコ」の絵、下からスカートの中を覗き込んでいる変態紳士こそがこの絵画の発注主だったりする。
③または産業革命期における科学実証主義の発展と統計学の登場を背景に可視化された売春組織、貧困層、反社勢力、そしてそれらの端々に垣間見られる精神病的病理…19世紀自然主義文学やグラン=ギニョール演劇はこれらに取材する事で成立した。
エミール・ゾラ「居酒屋(L'assommoir,1877年)」
ルーゴン・マッカール叢書第7巻。貧民の悲壮な破滅を描く。
ルーゴン・マッカール叢書第9巻。客を破滅させながら自滅していく高級娼婦を描く。
「グラン・ギニョール(Grand Guignol)恐怖劇場」開設(1897年~1962年)
劇作家オスカル・ムトニエがモンパルナスにあった席数約300の小劇場(礼拝堂の再利用)を買収/改修して開設。浮浪者、街頭の孤児、娼婦、殺人嗜好者など、折り目正しい舞台劇には登場しない「公共の視線から黙殺されてきた人々」を多く登場させ、妖怪譚、嫉妬からの殺人、嬰児殺し、バラバラ殺人、火あぶり、ギロチンで切断された後も喋る頭部、外国人の恐怖、伝染病などありとあらゆるホラーをテーマとする芝居が、しばしば血糊などを大量に用いた特殊効果付きで演じた。開設当初はエミール・ゾラの「実験小説論(Le Roman expérimental,1879年~1860年)」に基づいて限りなく実録物に近い実験演劇を演目としようとしたが、度重なる官警の取り締まりを逃れる為に次第に「荒唐無稽な」「血生臭い」「こけおどしめいた」猟奇的芝居へと変貌していった。客動員数ばかりでなく「観客のうち何人が失神したか」を劇の成功・不成功を測る尺度とした嚆矢。次第にマンネリ化して最後は映画などとの競争に敗れる形で閉館された。
特に人気があったのが同じ人気女優が惨殺される別の物語の連続上演で、江戸川乱歩の1930年代通俗小説や映画「武士道残酷物語(1963年)」に影響を与える。ちなみに江戸川乱歩の通俗小説では、連続殺人犯が次々と毒牙に掛ける美女(レビュー嬢、カフェ女給、豪邸の小使い、事務員、海女など当時の女性職を網羅)に明瞭なる共通点が見出され、映画「武士道残酷物語」では代々悲壮な最期を遂げる悲劇の家系の当事者を中村錦之助 (萬屋錦之介)が1人7役で演じ分けている。
そしてこうした歴史の掉尾に現れたのが団鬼六などが残したSM文学だったのです。
これらの作品群に登場する女性は、サド文学以来の伝統に従って「無垢なる存在であるが故に穢される悲劇的存在(一方的被害者)」か「汚辱に喉まで浸かった毒婦(被害者側にも加害者側にも登場)」に完全二分されるのが常でした。そんな感じで以下続報…